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一般社団法人 日本・ポーランド文化交流協会です。

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メールマガジンMail Magazine

日本ポーランド文化交流協会メールマガジン第03号(2018年5月)

〈目次〉

 (1)「ポーランド独立回復100年に寄せて」
  日本ポーランド文化交流協会理事長 山中 誠

 (2)「友好国助け合いの歴史100年」
  在神戸ポーランド共和国名誉領事 摺河 祐彦

 (3)協会活動報告と今後の予定
  ・2017の協会活動報告
  ・2018 今後の予定

 (4)ポーランド文化教室の開催



はじめに
 今年は、ポーランドがその苦難の歴史を乗り越えて独立を回復した1918年から数えて百年という記念すべき年に当たります。翌1919年には日本がポーランドと国交を結びましたので、明年は両国の外交関係樹立百周年を迎えることになります。今年から二年続けて慶事を迎えるポーランドと我が国では種々の祝賀・記念行事が計画されています。百年という節目に当たり、ポーランドの歴史を振り返り、今後を展望する機会になるでしょう。

1918年
 毎年11月11日は、ポーランドの独立記念日として祝日となり、お祝いの式典やイベントが全国各地で開催されます。百年前のこの日、ワルシャワのドイツ軍が武装解除され、ポーランド共和国建国の父として尊敬されるユゼフ・ピウスツキが国家元首に選任されました。4年におよぶ第一次世界大戦が終結し、ポーランドが123年ぶりに主権と独立を回復したのです。それまでポーランドを分割してきた三つの帝国(ドイツ、オーストリア・ハンガリー、ロシア)は、第一次世界大戦を同盟国側と協商国側に分かれて戦いました。この間も戦争の渦中で辛酸をなめたポーランドは、米国をはじめとする協商国側がポーランドの再生を戦争目的の一つとし、かつ、ポーランド人自身が奮闘して、遂に独立を勝ち取ることができたのです。この記念日には、毎年ワルシャワ中心のピウスツキ広場で盛大な祝賀式典が催され、大統領が無名戦士の墓に献花、三軍の閲兵も行われます。 式典に続き大統領ほか政府要人を先頭に大統領公邸横のピウスツキ元帥の銅像までパレードするのが恒例となっています。祖国の独立を祝い愛国心が高揚する日ではありますが、ここ数年は極右の参加者が国粋主義を叫んで暴徒化する事態も散見されます。右傾化は欧州全体に見られる傾向とはいえ、残念なことです。

百年の歴史を振り返って
 1918年に独立を成し遂げたポーランドではありましたが、その後の歴史も平坦なものではありませんでした。ピウスツキが没した1935年頃にはドイツでヒトラー率いるナチスが政権を握り、その動向が脅威となっていました。1939年9月ナチス・ドイツはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まりました。その後、ドイツとソ連はポーランド分割の密約を結び、ポーランドは再び両国によって分割されてしまいました。1941年に独ソ戦が始まりますと、当初はドイツ軍の勝利によりポーランド全土がドイツ軍の占領下におかれましたが、その後のソ連軍の反撃により1944年には全土がソ連軍占領下に置かれることになりました。このように独ソ両国により侵攻されたポーランドは焦土と化し、総人口が戦前の7割にまで減少して約2,400万人となる等の惨状を呈しました。アウシュビッツなどのナチス強制収容所におけるユダヤ人大量虐殺、カティンの森(ソ連西部スモレンスク近郊)におけるポーランド人捕虜将校の集団殺害、ワルシャワ蜂起の凄惨な結末などの悲劇が起きたのもこの頃です。
 第二次大戦後、ポーランドはソ連圏に組み込まれました。ソ連を盟主とする軍事同盟、ワルシャワ条約機構の中心メンバ−にもなりました。社会主義体制の下で戦後復興を図りましたが、硬直した計画経済の下では期待は裏切られました。1980年には牛肉値上げに反対する大規模ストが拡大し、ここからソ連圏では初めての自主管理労働組合「連帯」(ワレサ委員長)が誕生しました。連帯の活躍もあり、1989年には半ば自由な選挙が実施され、旧東側ブロックでは初めて非社会主義政府が誕生し、体制転換が実現することになりました。中東欧の民主化はポーランドから始まったのです。
 体制転換を果たしたポーランド(第三共和国)は、今年で29年になります。この間、民主化、経済発展、親欧米の外交・安全保障政策が一貫して追求されてきました。 その結果、1996年にOECD加盟、1999年にはNATO加盟、2004年には欧州連合(EU)加盟を果たしました。
 ポーランドのGDPは、1989年の体制転換以来実に7倍となっています。この著しい成長は、当時ほぼ同じ経済規模であったウクライナが現在ポーランドの約三分の一という状況が物語っています。リーマンショックの際に欧州で唯一プラス成長を維持したのがポーランドであったことも記憶に新しいところです。
 民主化以降の政治潮流は、小党乱立などにより一時期混乱も見られましたが、連帯の流れをくむ中道の「市民プラットフォーム」(PO)と保守色の強い「法と正義」(PiS)の二大政党に収斂されて安定してきているように見受けられます。
 独立回復から100年を経て、今日のポーランドは、経済を著しく発展させ、自由と民主主義を定着させました。「欧州の優等生」と言われるのもそのためです。

今後のポーランド
 このようにポーランドは、亡国と苦難の歴史を乗り越えて独立を回復し、自由と繁栄を謳歌するまでに至っています。その背景には、筆者の個人的見解ですが、強い祖国愛、辛抱強さ、教育への熱意、勤勉性などの国民性が働いているように思われます。
 ポーランドの今後については、大きな注目が集まっています。その国力伸長は、経済発展を中心に今後とも続くものと考えられます。他方、エネルギー供給の制約、環境問題への対応が求められるほか、イノベーションを育成するような経済構造の質的向上を図ることも大きな課題といわれています。
 欧州連合(EU)の中の新興勢力としてのポーランドも注目されています。欧州連合は、難民・移民問題、テロの脅威、金融財政問題など多くの難問を抱えています。難問山積の欧州連合がその航路を進むに当たってポーランドは如何なる役割を果たすのか、興味が尽きません。
 現在、欧州委員会は、ポーランド政府の進める司法改革が法の支配の原則に悖るのではないかとして是正措置を求めています。これに対してポーランド政府は、欧州委員会の指摘は当たらないと主張しています。これまでのところ、双方の歩み寄りはみられていません。ポーランドが欧州連合の中で建設的な役割を果たして強い欧州を実現するためにも、現下の対立は早期に解決すべきものと思われます。
 欧州連合とNATOの東端に位置し、ロシア、ウクライナと国境を接するポーランドは、いわば前線国家として地政学的重要性を有しています。クリミア併合を含むウクライナ問題や強権的姿勢を強めるプーチン大統領のロシアへの対応は引き続き喫緊の課題です。ロシアに対しては、歴史的な経験・知見を有するポーランドが欧州の安全保障において貢献することが期待されています。
 日本政府も、ポーランドを「中東欧の雄」として戦略的パートナーシップを強化していく考えです。

おわりに
 ポーランドの独立回復から百年の歴史を振り返るとき、苦難の道のりを乗り越えてきたポーランド国民の弛まぬ努力と不屈の精神に畏敬の念を抱くものです。百周年の節目に立って、次の百年を見渡すとき、明るく力強いポーランドが更なる飛躍を遂げる姿が見えてきます。特に、これまでの百年が大国の侵略や干渉に翻弄され、これに抵抗してきた歴史でありましたが、これからは、力と自信をつけたポーランドが自らの運命を主体的に切り拓いていく百年になるものと考えられます。


 来年2019年は、日本とポーランドの国交樹立100周年にあたります。この間、世界的にもまれな美しい関係が、両国の間で紡がれていることをご存知でしょうか。ポーランド政府は、阪神・淡路大震災で被災した児童を、夏休みを利用して自国に招き、心からもてなして子どもたちの受けた心の傷を癒してくれました。東日本大震災の際にも、同様の取り組みが行われています。
 ポーランドは1918年に共和国として独立を回復し、翌年日本との国交が樹立されました。それまでの100年以上にわたって隣国に分割統治され、世界地図から国名が消えた時期がありました。
 この間、幾多にわたる独立運動や第一次世界大戦、ロシア革命により多くのポーランド人がシベリアに拘留されます。彼らは混乱の中、難民となり、親と死別した子どもたちは極寒と飢餓にさらされました。この悲惨な状況を踏まえて設立されたポーランド救済委員会は、孤児たちの窮状を救ってくれるよう欧米諸国に懇願します。
 しかし、手を差し伸べてくれる国はなく、最後の望みの綱として日本への依頼を決めました。日本政府・外務省はこの要請を受け、わずか17日後に救済を決定。20年の第一次(東京・375名)、22年の第二次(大阪・390名)と孤児を受け入れました。孤児の中には病気や栄養失調の者も多く、腸チフスの感染者もいましたが、手厚い看護によりすべて回復し、765人全員が無事にポーランドに帰国しています。
 第二次大戦時にはナチス・ドイツがポーランドに侵攻、弾圧政策から逃れるためポーランド系ユダヤ人が中立国のリトアニアに押し寄せてきます。その中で、駐カウナス(リトアニア)日本領事館領事代理の杉原千畝が、外務省の許可が出ないままに、自らの責任で「命のビザ」と言われる渡航証明書を発行し、六千人もの命を救ったという話は有名です。
 ポーランドにはバラの花を贈る風習があります。恋人や夫婦では愛情を、親子では感謝の気持ちを込めて贈ります。阪神・淡路大震災に遭った子どもたちが招待された際、お別れパーティーに4人のシベリア孤児だった方々が出席され、最後に日本の子どもたちにバラを1輪ずつ手渡しました。このバラには4人の75年間の思いが込められていたことと思います。
 私の勤務する高校はポーランドのナザレ校という女子校と姉妹提携をしており、隔年でお互いの学校を訪問し交流を深めています。現在、グローバル社会に対応するための教育改革が推し進められています。思考力・判断力・表現力に加え、英語の4技能も大切ですが、最も必要なことは、寛容さや思いやり、相手のことをおもんぱかる心ではないでしょうか。両国の交流の歴史が、それを教えてくれているように思います。


2017の協会活動報告
1.ポーランド大使を迎えての昼食講演会の開催(7月26日)
イズイドルチク駐日ポーランド大使を初めて神戸に迎え、講演会を開催しました。大使は、国会・県会・市会の各議員、県市行政機関・各種団体・マスコミ・企業・学校等の代表、約40名と交流され、その後、ポーランドと日本との交流の歴史について講演をされました。ポーランドに対する理解が深まりました。

2.第2回ポーランドフェスタを神戸で開催(10月21日)
ポーランドや日本とポーランドの交流について関西一円の日本人及びポーランド人の方々の理解を深めていただくために、神戸のスペースシアターにおいて第2回ポーランドフェスタを開催し、約1500名の参加を得ました。関西在住のポーランド人も多数参加し、交流が広まりました。

3.第1期ポーランド文化教室を神戸で開催
ポーランド人で日本語研究家の大学院生2名(ALTとして1年間、日本滞在)が、一般公募の参加者20名を対象に、5回にわたってポーランドの魅力をあらゆる角度から日本語で解説をして、ポーランドの理解を深めました。
・4/25「名所と有名人」 ・5/30「歴史と言葉」 ・6/27「日本との交流」 ・7/25「行事と祭り」
・8/8 岡山大学の田口教授をお招きし、産業・教育・福祉・日常生活と習慣についてお話をいただきました。


2018 今後の予定
1.メルマガ配布
協会と会員の方々を結び、理解と交流の輪が広がることを願って、第3号を配信します。年間2回のメルマガ配信を予定しており、会員に優先配信され、その後に協会ホームページに掲載されます。

2.第3回ポーランドフェスタの開催
好評を博した第2回のポーランドフェスタに続き、本年10月20日(土)に、第3回ポーランドフェスタを開催します。これまでと同様、神戸ハーバーランド・スペースシアターでの開催となります。
ピアノ演奏、民族舞踊、ポーランドのアーティストによるライブ演奏や、ポーランド特産品の販売など、もりだくさんのプログラムを予定しています。

3.ポーランド文化教室の開催
新しいポーランド人講師が新しい視点からポーランドの魅力をご紹介します。(詳細は下記を参照)
・5/22「隠れた名所」 ・6/26「クラシックからポップスまで」
・7/24「人気の映画と本」 ・8/7「著名な画家、美術館」
会員の方は無料です。ぜひご入会ください。






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