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東京は猛暑と伺っていますが、ワルシャワでは5月半ばに3年ぶりにワジェンキ公園で野外ショパンコンサートが再開され、6月末にはやっと爽やかな青空の夏らしい日がみられるようになりました。これまでの一年半の日々を、駆け足で振り返ってみたいと思います。
一昨年2020年11月末の着任後にまず直面したのは、新型コロナでした。当時、一日の感染者数が3万人近く、死亡者が600人弱で、特に死亡率が高く、欧州一の深刻な感染状況でした。あらゆる場所でマスク着用が求められ、すべてのレストラン、劇場、博物館などは閉まり、文化・スポーツイベントは中止されました。12月にドゥダ大統領に信任状を捧呈し大使としての職務が始まりましたが、対面での面会や会食の機会、外交団等のレセプションも皆無でした。初めて勤務する中欧での寒い冬の中、事実上のロックダウンも重なり、気分が暗くなりがちでした。でも、日本大使館の近くに広々としたワジェンキ公園があるのは本当に幸いでした。大雪の週末、小さなそりに子供を乗せた親子連れの姿を見ると、心が和みました。
昨年4月には一日3万人弱、死亡者800人超とコロナ感染が再び急拡大しました。「なぜポーランドでは厳格なロックダウン措置が講じられないのか、経済への悪影響を心配しているからか」と訊ねると、「とにかく、当局による規制は大嫌いだ」という強い反応が返ってきました。ワクチンについても宗教的理由その他で断固として接種しない人が多く、現時点で1回以上の接種率は約60%にとどまっています。
5月初めには厳格な防疫体制の下、茂木外相(当時)が、日本の外相としては河野外相(当時)以来2年ぶりにV4(ヴェシグラード・グループ:ポーランド・チェコ・ハンガリー・スロバキア)議長国であるポーランドに来訪し、「自由で開かれたインド太平洋(Free and Open Indo-Pacific :FOIP)」、国際法に基づく国際秩序の重要性について各国外相と一致することができました。
その後5月半ばには、感染がピークアウトし、大規模な屋外でのイベントやレストラン営業も再開され、街も少しずつ活気を取り戻しました。ワルシャワ市内の公園で開かれた「日本の朝市」は大変な賑わいで、寿司やお好み焼きに長い行列ができていました。そして、7月から8月にかけて、東京オリンピック・パラリンピック大会が開催され、ポーランド選手団も参加しました。オリンピック開会式参列のため訪日したドゥダ大統領は、菅総理(当時)に対し、日本だからこそ立派にオリンピックが開催できたと述べられました。
10月には、前年にコロナで1年延期された「ショパン国際ピアノコンクール」が6年ぶりにナショナル・フィルハーモニーで開催されました。ワクチン接種証明書を提示の上、マスク着用にもかかわらず、会場は満席でした。87名の予選参加者のうち日本人ピアニストは14名。課題曲を見事に演奏し、計23名のセミファイナリストに5名、計12名のファイナリストに2名の日本人が残り、反田恭平さんが2位、小林愛美さんが4位に入賞するという歴史的快挙を成し遂げました。ポーランドの方々から、「これだけ見事にショパンを弾けるピアニストがいる日本は本当にポーランドの友人だ」との声を何度も耳にしました。また、インターネットを通じてコンクールの結果を見守った方の数は日本人がダントツでトップ、日本でも「ショパコン」ブームが巻き起こったと伺いました。ショパンの美しい音楽を通じ、日本人とポーランド人のハートがぐっと近づいたと感じ、とても勇気づけられました。
11月初めには中東諸国から来た3千人以上の人々がベラルーシから不法にポーランド、リトアニア、ラトビアに越境しようとし、これを阻止しようとするポーランド側国境警備隊との間で緊張が高まりました。さらに、12月初めには、ウクライナ国境周辺へのロシア軍の18万人もの大規模動員・配備の動きが顕著になり、一気に欧州安保情勢が緊迫化しました。
そして2月24日未明、ロシア軍によるウクライナ侵略が首都キーウ、東部、南部への大規模攻撃という想定外の形で開始されました。ウクライナでの戦争がポーランドのすべての人々の心を大きく揺さぶり、「ジョージア、クリミア以降続いてきたロシアの軍事侵略の一環であり、断固許されない」との声が一斉にあがりました。人々は戦況を夜中まで注視し、朝起きると「キーウはまだ陥落していないかどうか」をまず確認するという緊張した日々を送りました。避難民に対する爆発的な草の根支援が全国で展開されました。戦火を逃れるため、真冬のウクライナから、開戦から3月初めまでのピーク時には一日15万人、累計400万人以上という膨大な数の避難民が、鉄道・バス・自動車・徒歩で、心身の疲労・トラウマや母国の家族の安否と今後の生活に対する不安を抱えながら、国境を越えてポーランドにやって来ました。成人男性は出国できないため、その9割は女性と子供が半々、1割はお年寄りでした。多くのポーランドの人々は、見ず知らずの避難民の自宅での受け入れ、衣服・靴・食料などの寄付、ボランティアによる炊き出しや輸送支援など本当に献身的な支援を続けています。私自身2月末と3月初めに受け入れ施設や国境近くを視察しましたが、強い感銘を受けました。議会では避難民に対し18か月間の合法的滞在を認め、就労、教育・医療などでポーランド人と同等の待遇を与える法案も極めて迅速に可決されました。社会には混乱や緊張も生じませんでした。4月初めには、林外相が総理特使としてポーランドに来訪し、ポーランド政府要人・ウクライナ外相と会談し、避難民施設や国境地域を視察の上、訪日を希望する避難民の方々を政府専用機に乗せて帰国しました。
大国の狭間で苦難の歴史を歩んできたポーランドの人々は、自らの「ワルシャワ蜂起」の記憶に重ねながら、ウクライナの人たちの苦難を自らのものとして引き受け、信じられないくらい寛大かつ親身に避難民を支援していると感じます。ポーランドは、ロシア軍と勇敢に戦うウクライナを強力かつ全面的に支援すべきと考えており、ウクライナに対する人道支援・軍事協力の戦略的ハブとして極めて大きな役割を果たしています。いずれ、復旧・復興でも重要な役割を担うに違いありません。また、ロシアを切迫した大きな軍事的脅威ととらえるポーランドは、ロシアに厳しい制裁を課すと共に、国防費をGDPの2%から3%に増額し、米国はじめNATOとの協力の下、国の守りを固める方針を迅速に決定しました。
戦争が始まって、既に4ヶ月を超えました。激戦が続いており、停戦のめどは全く立っていません。ウクライナの総人口の4分の1に当たる1,000万人以上がポーランドをはじめとする周辺国に避難し、650万人以上が国内避難民になっています。現時点でポーランドにいる避難民は200万人ほどと推計されています。エネルギー価格などインフレ高騰が市民生活を直撃していますが、街にはウクライナ国旗が各所に掲げられ、ウクライナの人々に対する優しい気持ちに変化は一切感じられません。一方、医療・教育などの面で地方自治体の負担は大きく、何ヶ月も自宅に避難民を受け入れてきたホストファミリーはじめ一部には「支援疲れ」の兆しも見えてきました。ポーランド政府も、人道的支援から教育・就職など社会統合と経済的自立に避難民政策の重点を変えつつあります。冬に向け住宅問題も深刻化しつつあります。避難民の人たちは、ウクライナに帰国するかポーランドにとどまるかの決断を迫られつつあるように見えます。
私は2つのバッジをいつも身に着けています。着任以来ずっと、「日本とポーランドは友情の花咲く二つの国」(Japonia i Polska - to dwa kraje kwitnącej przyjaźni.)をモットーに、日・ポーランドの国旗のバッジをつけて友好増進に努めてきました。そして、2月24日ウクライナで戦争が始まってからは、「日本とポーランドはウクライナと連帯している」(Japonia i Polska solidaryzują się z UKrainą.)をモットーに加え、ウクライナ国旗の色のバッジもつけています。日本政府による迅速かつ強力な対露制裁や極めて寛大なウクライナ支援は、ポーランド側から高く評価されています。「日本は真の友人だ。ありがとう」と何度も言われています。今年はシベリア孤児救出100周年。100年前にシベリア孤児に対して示された日本人の善意の輪を、ポーランドの人たちと一緒に、ウクライナの人々に広げていくことができればと願っています。折り紙を手にしたウクライナ少女の写真は私の宝物です。
皆さん、ポーランドは安全です。ぜひポーランドに来て、魅力的な文化・芸術とポーランド料理をエンジョイし、多くの友人を作ってください。そして、ウクライナの問題を肌で感じ、日本・日本人として何をすべきか考えてみてください。
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